サークルにおいて俺は何だったのだろう。
そんな疑問を代○木個別○導学院の教室でふと思った。
確かに書記という役職についていたがその仕事を全うできたかと言えばそれは否だ。
では、そのほかの役割は?
俺のサークルでの印象を聞いたらおそらく多くの人が「変な面白い奴」と答えるに違いない。
だがしかし、俺は自分のことを面白い人間であると思っていない。
時たま面白い風のことは言えるが、それも周りが面白く扱ってくれるからだ。
この印象は皆のツボが浅いのか、皆が無理に面白がっているのを装っているのか、はたまた本当に俺が面白い人なのか。
結局、俺のサークルでのキャラクターは【うるさい頭のおかしな人】なのだ。
つまり、俺の言っていることが面白いのではなく見世物として皆が笑っているだけではないのだろうか、という疑問が生じた。
昨日のコラム1つを例に挙げてみる。あれは個人的には駄作も駄作でこれは果たして面白いのだろうか?と思った。
しかし、もとい等は面白いと言っていた。確かに発想はよかったかもしれない、だが内容はそうでもないように感じた。
俺にはわからない。面白いとはいったい何なのだろうか?
無論、俺は人を笑わせることが好きな人だ。
笑いが取れるなら自虐もするし、そこそこ身体も張れる自信はある。
だが結果としてそれだけである。それは面白いのだろうか?皆の目にはどう映っているのだろうか?
ある後輩は「自分なんて面白さが減ったあなたの劣化コピーですよ」などと言った。
つまり彼の眼には俺は面白い人として映っているのだろう。因みにこの発言をした彼は面白いし、最近ますます面白くなってきたと感じる。
皆の目にも同様に映っているのだろうか。俺の中の面白い人というのは同期で副代表を務めていた彼のような人だ。俺は彼が羨ましい。だが俺は彼にはなれないので俺なりに頑張る。
と、ここまで考えた時に気付いた。
面白さにも種類、方向性などに程度がある。つまり俺は【程々に面白い人、方向性としては阿保が騒いでいる系】なのではないだろうか。
だがしかし、俺も人の子である。褒められれば嬉しいし図に乗る。面白いと言われると自分が面白いかのように錯覚してしまう。
それも「面白くな」の一言で自信など砕け散り地の底に落ちるのだが。人間とはなかなかどうして難しい生き物である。
ここまで書いていて思ったことがある。
結局のところ、俺はよせがにという集団の中でなんなのだろうか。
唯一の取り柄らしい取り柄であると考えられる『面白さ』が実は虚像だったとしたら。
2年生までの俺がサークルにいられた理由とは何なのだろうか。
皆はギターをまともに弾けない俺に何を求めていたのだろうか。
考えうる限り最悪の結論は
≪俺は1万円のサー費男である≫
おい…なんで今気まずそうな顔したんだよ画面の前のお前??
嘘だろ?まさかな…ハハッ…そんなわけねぇよな?
どうしたんだよ…嘘だって言ってくれよみんな!!おい!なんでみんな目を伏せるんだよ、なぁ?!俺の目を見て違うって言ってくれよ!!聞いてんのかよ……おい…
そんなのって…ねぇよ…あんまりだよ…辛すぎるよ…
危ない状態だった。精神が非常に取り乱して文体が変わってしまった。
だがそんな俺にも3年生になれば意味ができたと思う。
ギターを始めるきっかけとなったバンドを最高のメンバーたちと組め、なによりその時間が楽しかった。
その時ぐらいからサークルに顔を出すことも増え始め〈存在意義〉はあったように感じる。
俺は自己肯定感の弱い人間だった。
大学に入学してからしか知らない皆は嘘だと思うかもしれないが、自分に自信がなく肯定してあげることができなかった。
大学入学後は中身のない空の自信で何とか生きてきた。
人間とは怖いもので、それに慣れるとまるで自分に自信があると思い込んでしまうこともあった。
でもギターを持つとそれも一瞬にして消え去る。
当然だ、絶対的に練習量が足りない。
自信を持つために必要な時間を俺はまだギターと過ごしてはいない。
俺は人によく見られたい、失敗しそれを笑われるのが堪らなく辛い。
だからミスをすると笑ってごまかす。「ミスっちゃった」と笑う。ほんとは悔しいのに笑う。かっこ悪くてもみじめなよりは断然いいと考えていた。そのほうがよっぽど滑稽なのに。
でもある人が「あなたが思っているよりも弾けてないなんてことないと思うよ。」「自信をもってやって、それでミスしても顔に出さなければいいんだよ」と言ってくれた。
市ヶ谷でもたくさんミスをしたし、記録を見ると笑ってしまうくらい弾けていない箇所もある。
だけど、ステージに立つ俺は本当に楽しそうで、コイツ楽しそうで羨ましいなと感じるくらいだった。そのコイツは俺自身なのにね。
事実、あのステージの30分での記憶がはっきりしない。
覚えているのは3つだけ
〈死ぬほど楽しかった〉〈嬉し泣きをした〉〈もっとここに立っていたいと思った〉
でも引退ライブで最後に楽しくギター弾けて、ガルデモをあの4人でできて本当に良かった。
あの後輩たちには頭が上がらない。だから感謝の言葉を書こうと思ったのだけれど最期のコラムにもう書いちゃったからまたあとで。
でもやっぱり君たちがいなかったらあの時間は過ごせていないと思う。本当にありがとう。
なんでこんな内容なのかって?
それはこの原稿を手書きしている今、あまりにも塾生の定期テストの点数が悪すぎてネガティブになったからだよ。
そこからコラムの原稿書いてたらあんな変な入り方になっちゃった。
あ、それと{だである調}で話してたのは塾生にこんな感じで文章書いてみ?っていう例文見せた後に書き始めたからあんな感じの文体なんだね。
やはりあの文体は性に合わない。
暗い内容も性に合わなかった。
まあ、落ち込んでるときに書いたことなんであんなの冗談です。
ホントに冗談だったらコラムに書かずに原稿のノートシュレッダーにかけてるけどね。
ま、半分冗談半分本気って感じで!
結局俺はまだ最期のコラム上げられてないです。
まるで辞める辞める詐欺をする飯田センパイのような状態ですね。
コラム終わる終わる詐欺の根岸。うん、飯田と同じは嫌だなぁ
書きたいことが尽きるか、飽きるか、みんながコラム終えたら俺も終えることにしようかな。
じゃ、またね~
そんな疑問を代○木個別○導学院の教室でふと思った。
確かに書記という役職についていたがその仕事を全うできたかと言えばそれは否だ。
では、そのほかの役割は?
俺のサークルでの印象を聞いたらおそらく多くの人が「変な面白い奴」と答えるに違いない。
だがしかし、俺は自分のことを面白い人間であると思っていない。
時たま面白い風のことは言えるが、それも周りが面白く扱ってくれるからだ。
この印象は皆のツボが浅いのか、皆が無理に面白がっているのを装っているのか、はたまた本当に俺が面白い人なのか。
結局、俺のサークルでのキャラクターは【うるさい頭のおかしな人】なのだ。
つまり、俺の言っていることが面白いのではなく見世物として皆が笑っているだけではないのだろうか、という疑問が生じた。
昨日のコラム1つを例に挙げてみる。あれは個人的には駄作も駄作でこれは果たして面白いのだろうか?と思った。
しかし、もとい等は面白いと言っていた。確かに発想はよかったかもしれない、だが内容はそうでもないように感じた。
俺にはわからない。面白いとはいったい何なのだろうか?
無論、俺は人を笑わせることが好きな人だ。
笑いが取れるなら自虐もするし、そこそこ身体も張れる自信はある。
だが結果としてそれだけである。それは面白いのだろうか?皆の目にはどう映っているのだろうか?
ある後輩は「自分なんて面白さが減ったあなたの劣化コピーですよ」などと言った。
つまり彼の眼には俺は面白い人として映っているのだろう。因みにこの発言をした彼は面白いし、最近ますます面白くなってきたと感じる。
皆の目にも同様に映っているのだろうか。俺の中の面白い人というのは同期で副代表を務めていた彼のような人だ。俺は彼が羨ましい。だが俺は彼にはなれないので俺なりに頑張る。
と、ここまで考えた時に気付いた。
面白さにも種類、方向性などに程度がある。つまり俺は【程々に面白い人、方向性としては阿保が騒いでいる系】なのではないだろうか。
だがしかし、俺も人の子である。褒められれば嬉しいし図に乗る。面白いと言われると自分が面白いかのように錯覚してしまう。
それも「面白くな」の一言で自信など砕け散り地の底に落ちるのだが。人間とはなかなかどうして難しい生き物である。
ここまで書いていて思ったことがある。
結局のところ、俺はよせがにという集団の中でなんなのだろうか。
唯一の取り柄らしい取り柄であると考えられる『面白さ』が実は虚像だったとしたら。
2年生までの俺がサークルにいられた理由とは何なのだろうか。
皆はギターをまともに弾けない俺に何を求めていたのだろうか。
考えうる限り最悪の結論は
≪俺は1万円のサー費男である≫
おい…なんで今気まずそうな顔したんだよ画面の前のお前??
嘘だろ?まさかな…ハハッ…そんなわけねぇよな?
どうしたんだよ…嘘だって言ってくれよみんな!!おい!なんでみんな目を伏せるんだよ、なぁ?!俺の目を見て違うって言ってくれよ!!聞いてんのかよ……おい…
そんなのって…ねぇよ…あんまりだよ…辛すぎるよ…
危ない状態だった。精神が非常に取り乱して文体が変わってしまった。
だがそんな俺にも3年生になれば意味ができたと思う。
ギターを始めるきっかけとなったバンドを最高のメンバーたちと組め、なによりその時間が楽しかった。
その時ぐらいからサークルに顔を出すことも増え始め〈存在意義〉はあったように感じる。
俺は自己肯定感の弱い人間だった。
大学に入学してからしか知らない皆は嘘だと思うかもしれないが、自分に自信がなく肯定してあげることができなかった。
大学入学後は中身のない空の自信で何とか生きてきた。
人間とは怖いもので、それに慣れるとまるで自分に自信があると思い込んでしまうこともあった。
でもギターを持つとそれも一瞬にして消え去る。
当然だ、絶対的に練習量が足りない。
自信を持つために必要な時間を俺はまだギターと過ごしてはいない。
俺は人によく見られたい、失敗しそれを笑われるのが堪らなく辛い。
だからミスをすると笑ってごまかす。「ミスっちゃった」と笑う。ほんとは悔しいのに笑う。かっこ悪くてもみじめなよりは断然いいと考えていた。そのほうがよっぽど滑稽なのに。
でもある人が「あなたが思っているよりも弾けてないなんてことないと思うよ。」「自信をもってやって、それでミスしても顔に出さなければいいんだよ」と言ってくれた。
市ヶ谷でもたくさんミスをしたし、記録を見ると笑ってしまうくらい弾けていない箇所もある。
だけど、ステージに立つ俺は本当に楽しそうで、コイツ楽しそうで羨ましいなと感じるくらいだった。そのコイツは俺自身なのにね。
事実、あのステージの30分での記憶がはっきりしない。
覚えているのは3つだけ
〈死ぬほど楽しかった〉〈嬉し泣きをした〉〈もっとここに立っていたいと思った〉
でも引退ライブで最後に楽しくギター弾けて、ガルデモをあの4人でできて本当に良かった。
あの後輩たちには頭が上がらない。だから感謝の言葉を書こうと思ったのだけれど最期のコラムにもう書いちゃったからまたあとで。
でもやっぱり君たちがいなかったらあの時間は過ごせていないと思う。本当にありがとう。
なんでこんな内容なのかって?
それはこの原稿を手書きしている今、あまりにも塾生の定期テストの点数が悪すぎてネガティブになったからだよ。
そこからコラムの原稿書いてたらあんな変な入り方になっちゃった。
あ、それと{だである調}で話してたのは塾生にこんな感じで文章書いてみ?っていう例文見せた後に書き始めたからあんな感じの文体なんだね。
やはりあの文体は性に合わない。
暗い内容も性に合わなかった。
まあ、落ち込んでるときに書いたことなんであんなの冗談です。
ホントに冗談だったらコラムに書かずに原稿のノートシュレッダーにかけてるけどね。
ま、半分冗談半分本気って感じで!
結局俺はまだ最期のコラム上げられてないです。
まるで辞める辞める詐欺をする飯田センパイのような状態ですね。
コラム終わる終わる詐欺の根岸。うん、飯田と同じは嫌だなぁ
書きたいことが尽きるか、飽きるか、みんながコラム終えたら俺も終えることにしようかな。
じゃ、またね~
ねぎしゃん
2018/11/14(水)
00:47